横浜地方裁判所 平成11年(わ)2509号 判決 2000年5月29日
主文
被告人Aを懲役一年六月に、被告人B・同C・同D・同Eをいずれも懲役一年にそれぞれ処する。被告人五名に対し、いずれも、この裁判が確定した日から三年間、それぞれその刑の執行を猶予する。
理由
(被告人らの身上・経歴)
一 被告人A(以下「被告人A」という。)は、昭和四二年三月、A野大学法学部を卒業し、同年四月、警察庁の警部補となり、翌昭和四三年八月に警部に、昭和四五年八月に警視に、昭和五五年六月に警視正に、昭和六二年二月に警視長に、平成五年八月に警視監に各昇任した。
そして、平成六年一〇月、神奈川県警察(以下「神奈川県警」という。)の本部長に就任した。
なお、本件事件後、平成九年一月一六日まで右本部長を務めた後、関東管区警察局長、警察大学校校長を歴任し、平成一一年二月に辞職し、同月二〇日からB山株式会社顧問となり、同年一一月八日に退職し、無職となって現在に至っている。
二 被告人B(以下「被告人B」という。)は、昭和五〇年三月、A野大学法学部を卒業し、同年四月、警察庁の警部補となり、翌昭和五一年四月に警部に、昭和五三年八月に警視に、昭和六一年八月に警視正に、平成五年八月に警視長に各昇任した。
そして、平成八年八月に神奈川県警本部の警務部長に就任した。
なお、本件事件後、平成一一年二月まで警務部長を務めた後、警察庁生活安全局生活環境課長になり、平成一一年一一月一四日に警察庁長官官房付となったが、本件事件により、同年一二月一〇日付けで懲戒免職処分を受け、無職となって現在に至っている。
三 被告人C(以下「被告人C」という。)は、昭和三四年三月、熊本県立C川高校を卒業し、同年四月、神奈川県警の司法巡査となり、昭和四一年三月に巡査部長に、昭和四六年三月に警部補に、昭和四九年九月に警部に、昭和五八年三月に警視に、平成七年九月に警視正に各昇任した。
そして、平成八年九月に神奈川県警本部の警務部監察官室長兼首席監察官に就任した。
なお、本件事件後、平成一〇年三月まで右監察官室長兼首席監察官を務め、その後、川崎市警察部長、神奈川県警察学校長を歴任し、平成一一年九月一三日に同本部警務部付となり、同月二〇日に警視長に昇任するとともに退職し、無職となって現在に至っている。
四 被告人D(以下「被告人D」という。)は、昭和三五年三月、鹿児島県立D原農業高校を卒業し、同年四月、神奈川県警の司法巡査となり、昭和四三年一〇月に巡査部長に、昭和四八年三月に警部補に、昭和五一年三月に警部に、昭和六一年三月に警視に各昇任した。
そして、平成八年三月に神奈川県警本部の警務部監察官に就任した。
なお、本件事件後、平成九年三月まで右監察官を務め、その後、右警察本部警備部理事官、戸部警察署長となり、平成一一年三月に警視正に昇任し、同年一一月一四日、同本部警務部付となったが、本件事件により、同年一二月一〇日付けで懲戒免職処分を受け、無職となって現在に至っている。
五 被告人E(以下「被告人E」という。)は、昭和三三年三月、長野県立E田商業高校を卒業し、同年四月、神奈川県警の司法巡査となり、その後、昭和三七年一〇月に巡査部長に、昭和四一年三月に警部補、同四六年三月に警部、同五五年三月に警視、平成二年三月に警視正、同八年三月に警視長に各昇任し、この間、B野大学(二部)に入り、昭和三九年三月に卒業した。
そして、平成七年九月に神奈川県警本部の生活安全部長に就任した。
なお、本件事件後、平成九年三月まで右生活安全部長を務め、その後、同月二四日に同本部総務部付となり、同月三一日辞職し、A田株式会社神奈川支社顧問となったが、本件事件により、平成一一年一一月四日に同社を退職して無職となって現在に至っている。
(本件各犯行に至る経緯)
平成八年一二月一二日(木)の日中、神奈川県警(以下「県警」という。)本部の警備部外事課に所属していた警部補のF(当時三四歳、以下「F」という。)は、横浜市内の当時親密に交際していたG子(当時二五歳、以下「G子」という。)方において、同女と一緒に覚せい剤を使用した(以下「事件」という)。
Fは、昭和六〇年四月、県警の司法巡査となり、平成二年三月に巡査部長に、平成六年三月に警部補に各昇任し、平成八年三月から県警本部警備部外事課に勤務し、この間、結婚し、子をもうけていた。
同人は、右のように、妻子を有しながら他の女性と親密な関係となったうえ、覚せい剤を使用した末、幻覚症状を生じ、その当日の一二日午後一〇時ころ、県警本部外事課へ電話をかけ、当直勤務中のH巡査部長やI班長に対し、警視庁の刑事に追われているなどと意味不明なことを訴えた。
右Iは、不審を覚え、Fに県警本部の庁舎に来るよう求め、Fは、これに応じ、翌一三日(金)午前零時ころ、G子を連れて出頭し、右Iに対して覚せい剤を使用した旨を述べた。
右IやHらは、Fの言動や、同人の左腕に注射痕と思われる跡も認めたことから、同人が述べるように、覚せい剤を使用したものとの疑いを抱いた。
しかし、自らFとG子の両名をそれ以上に取調べることや、この種事犯の捜査担当部門である生活安全部薬物対策課に連絡したりすることはせず、右Iは、上司の外事課長補佐のJの宿泊先にFのことを電話で報らせた。
Jは、右当直員らに対し、G子を帰宅させ、Fを県警本部の庁舎内に泊めるよう指示し、同当直員らもこれに従って対処した。
Jは、同日の一二月一三日早朝、出勤して右関係者に前夜からの経過を質し、Fとも面談し、その挙動や注射痕等から、同人が覚せい剤を使用した疑いが濃厚であるものと判断した。
しかし、やはり、事件について、自ら捜査を開始することも、本来の捜査担当部門の生活安全部に報告することもせずに、上司の外事課長代理のKに報告した。
右Kは、Jに対し、秘密保持のため、Fをその自宅に連行し、同所で同人からの事情聴取を行なうよう指示した。
そして、同日午前八時三〇分ころ、外事課(県警本部庁舎一五階)にL課長を訪ね、事件についての報告をした。
右Lは、右外事課のI班長とH巡査部長を会議室に呼び、更に事情を質した。
そして、約三〇分後の午前九時ころ、警備部長室にM部長を訪ね、事件についての報告をした。
右Mは、同部で自らに次ぐ立場にあったN理事官(公安第一課長)も呼び入れて協議したうえ、L外事課長に対し、警務部監察官室に報告して指示を仰ぐよう命じた。
右L課長は、K課長代理を伴って右監察官室(県警本部庁舎一〇階)へ赴き、監察官の被告人Dと監察官室長の被告人Cらに事件についての報告をし、前夜FがG子を連れて出頭した旨、同人が意味不明の発言をしている旨、同人を外事課の当直に泊め、G子は返した旨、G子の素姓を調査中である旨などを報告した。
被告人Cと同Dは、右報告を受けると、ともに、Fに覚せい剤を使用した疑いが濃厚であると判断した。
そして、被告人Cは、憤慨し、「こんな奴は懲戒免職だな。」などと発言した。
しかし、実際には、事件のその後の処理やFの処遇については、上司である警務部長の被告人Bの指示を仰ぐことを考え、自らの考えを示すことはしなかった。
ところで、監察官室としては、Fを懲戒免職にするためには、神奈川県人事委員会に対して、解雇予告除外認定の申請を行わなければならなかった。
被告人Dは、そのことによって事件が外部に漏れることを恐れ、被告人Cに対し、その旨の問題点を指摘しつつ、Fを依願退職の一つである論旨免職にすることを勧める進言をした。
しかし、Fを諭旨免職にすることと、事件について通常の刑事事件として本来の捜査を行うことは、両立しえないことであった。
そこで、被告人Dは、L外事課長らに対して、監察官室としては、事件の調査を秘密裡に進めたい旨、先ず、Fから事情を聴取する旨、外事課の方でG子が事件のことを口外しないように対処して欲しい旨、Fの自宅に注射器等の証拠品がないか確認する必要がある旨等を伝えた。
更に、その後、監察官室の警察官らに対し、横浜市内の県警の施設でFから事情を聴取するよう指示し、K外事課長代理にも電話でFを右施設へ移動させるよう指示した。
一方、被告人Cは、その後、警務部長の被告人Bの指示を仰ぐべく、同日昼過ぎころ、公務で外出中の同被告人が乗った車両に電話をかけて同被告人に事件に関する概況を報告し、同日午後一時ころ、警務部長室(県警本部庁舎九階)に同被告人を訪ね、事件について更に詳細な説明をし、前夜、県警本部にFが不倫相手の女性(G子)と一緒に出頭した旨、同人がその女性から覚せい剤を注射されたと訴え、意味不明の発言をしている旨、それ(事件)について、監察官室で少し調査してから主管の生活安全部に引き継ぎたい旨の、Fを懲戒免職にすることを前提とした説明をし、本部長の被告人Aにも報告して指示を仰ぎたい旨を述べた。
被告人Bは、「分かりました。そうして下さい。」と答えて被告人Cが被告人Aの指示を仰ぐことを了承した。
被告人Cは、続いて、本部長室に被告人Aを訪ね、被告人Bに対してと同様の報告と説明をし、指示を仰いだ。
被告人Aは、右報告を受けると、事件を未聞の不祥事と受け止めて唖然とすると同時に、被告人Dらと同様、事件を通常の刑事事件として捜査することによって、これが現職の警察官の不祥事として大きく取り上げられ、そのことによって警察全体の威信が失墜し、県民からの信頼を失うことや、薬物防止活動にも悪影響が及ぶこと、更には、職員全体の意欲までも減殺しかねない状況を招く事態等を忽ち想起して耐え難く受け止め、G子の動向が気になりながらも、右のような事態を少しでも避けるには、Fを一刻も早く免職にして、事件が明るみに出る前に、せめて同人の「現職の警察官」の肩書きだけは外したいものとの思いに駆られ、先ずは、同人を諭旨免職にするほかないものと決断するに至った。
そして、被告人Cに対し、「事件にする必要はない。」、「女性問題を理由に早く切れ。」などと、Fを、事件を理由とした懲戒免職にするのではなく、早急に不倫を理由とした諭旨免職にするよう強い口調で指示し、事件に関する調査を更に秘密裡に進めるよう指示した。
被告人Cは、被告人Aの指示を受けると、内心、安堵し、「分かりました。」と答えて退去し、その足で再び警務部長室の被告人Bの許に立ち寄り、同被告人に被告人Aから受けた指示を伝え、改めて被告人Bの指示を仰いだ。
被告人Bは、一瞬考え、被告人Aの指示どおりの対処が可能ならばその意向に沿いたいものと思ったものの、その可能性の見極めがつかないまま、取り敢えず被告人Aの意向を尊重して対処することにし、被告人Cに対し、「そうですか。分かりました。」と答え、被告人Aと同様、しばらく監察官室で事件について秘密裡に調査を進めるよう指示し、被告人Cもその趣旨を了解した。
被告人Aは、その前後ころ、生活安全部長の被告人Eに電話をかけ、事件について被告人Cから得た情報を伝えるとともに、Fを直ちに退職させる旨、事件が表沙汰となると反響が大き過ぎるので、秘密裡に処理したい旨を伝え、そのことに協力して欲しい旨求めた。
被告人Eは、被告人Aの右のような考え方も理解できたものの、事件を秘密裡に処理しようとしても、これにFの他に部外者のG子が関係していることから、同女を介して外部に知られる可能性があり、その場合の、神奈川県警が被る遥かに大きな打撃を想像し、或いは、被告人Aの考えが、結局、部下のFの不祥事が同被告人の出世に支障になることを恐れることに発したものとも受け止めた。
しかし、結局、上司である被告人Aに異を唱える程の気持ちはなく、同被告人の意向に従うことにし、右電話で「分かりました。」、「その方向で検討します。」と答えることになった。
一方、被告人Bは、同日午後一時過ぎ、警務部長室に、M警備部長、L外事課長、被告人C、被告人Dらを集め、同人らに本部長の被告人Aが事件を公にせずにFを一刻も早く辞めさせる意向であることを伝えたうえで、その実行可能性や、その場合の対処の仕方等について検討を求めた。
右の集まった者の中に被告人Aの意向に異を唱える者はなく、全員がその意向に沿った処理が実現可能であればそれに越したことはないと受け止めながらも、それを巧く実現することができるかを案ずる雰囲気になったが、被告人Aの考えを積極的に支持する発言もあり、結局、当面はその意向に沿って対処することで意見が一致し、事件について、更に極秘裡に調査して対処する必要があり、殊に、G子との関係で慎重を要することなどが確認されたうえ、以後、外事課がFの身柄確保とG子の素姓や所在の調査を担当し、監察官室がFからの事情聴取を行い、互いに協力して調査を進めることになった。
被告人Cは、その後間もなく、生活安全部長の被告人Eの知恵を借りることを考え、独りでその部屋を訪ね、同被告人に対し、その事件を仮想のものとしたうえで、警察官が女性と一緒に覚せい剤を使用した事件を内密に処理する方法を尋ねた。
被告人Eは、被告人Cが仮想のものとする事件が、その少し前に本部長の被告人Aから聞いていた本件事件そのものであるものと察知し、被告人Aの方針や、自らへの協力要請のことを頭に置きながら、被告人Cに対し、自らも仮定の話をしながら応答し、その事件の被疑者、すなわちFの尿の覚せい剤反応が陰性であれば、刑事事件にはなりえない旨、事件が刑事事件となるか否かは、その尿の反応次第である旨などの説明をして対応した。
被告人Cは、被告人Eに感謝して退室し、直ちに被告人Dに対してFからの採尿を指示し、同被告人は、同日夕方、監察官室員らにその旨の指示をし、Fの尿を採取させて同室に保管させた。
Fは、右採尿後、監察官室から外事課に引き渡され、以後、横浜市内のホテルで外事課の者の監視付きで宿泊することになった。
被告人Dは、同日夜、Fを取り調べたO監察官補佐らから、Fがそれまでに相当多数回、覚せい剤の注射をしている疑いが濃厚である旨や、同人が警視庁の刑事に尾行され、JR北戸田駅前のベンチの隙間に覚せい剤を投棄してきたと供述している旨の報告を受け、右O監察官補佐らに対し、事件について、Fに上申書を作成させたり、事件に関する報告書を作成するよう指示したりした。
また、翌一四日(土)、K外事課長代理に対し、以後のFからの採尿は外事課において行うよう求めた。
そして、これを受けて、外事課の警察官が同日と翌一五日(日)にFの尿を採取し、これがJ課長補佐を経て監察官室に届けられた。
ところで、Fは、右のように、一三日、監察官室の警察官に対して、前日の一二日にJR北戸田駅付近にアルミホイルに包んだ覚せい剤と注射器を投棄した旨の供述をした。
被告人Dは、同日、右のFの供述を知ると、K外事課長代理とJ同課長補佐に対し、右北戸田駅に赴いて右の覚せい剤等を回収するよう指示した。
右Jら外事課の警察官は、翌一四日(土)、Fを連れて、先ず、その自宅に赴いて注射器一〇本等を領置し、更に、右北戸田駅に赴き、付近のベンチ下等から、同人が述べた覚せい剤の包みと注射器一本を回収した。
右Jは、その後、K外事課長代理に右の証拠品回収の事実を報告し、同人は、更に被告人Dに報告した。
被告人Dは、右Kに対し、右証拠品を外事課で秘かに保管するよう指示し、Kは、J外事課長補佐にその指示を伝え、Jは、これに応じた。
かくして、被告人Dと、外事課のK課長代理及びJ課長補佐らは、遅くとも、一四日夕刻までには、順次、事件に関する証拠を隠滅することを決意するとともに、互いにその意思を通じさせて、共謀を遂げるに至った。
そして、右Jは、その後、右の証拠品を茶封筒に入れ、外事課(本部庁舎一五階)の自らのロッカーに収納してこれを隠匿した。
週明けの同月一六日(月)を迎え、被告人Dは、午前八時過ぎに出勤すると、O監察補佐官が作成した事件についての報告書に目を通し、事件についての決裁用の報告書(事案概要)の作成を命じた。
その後、午前九時過ぎ、電話で、神奈川県警察科学捜査研究所長に、提出者の名を秘した尿の覚せい剤成分の鑑定を行うことを依頼し、監察官室の警察官にFの尿を右研究所へ届けるよう指示した。
一方、被告人Eは、そのころ、生活安全部薬物対策課長のPを呼んで、事件の発生と、その処理についての前記の被告人Aの意向や、Fを退職させてから同薬物対策課が事件を引き継ぐことになる旨などを告げるとともに、同人に対し、不慣れな監察官室に協力して、Fの尿を右研究所へ届けるよう指示し、Pは、これに応じ、被告人Dに電話でその旨を伝えた。
そして、Fから一三日から一五日にかけて採取された尿は、監察官室から薬物対策課長代理に届けられ、同課長代理がこれを右研究所に届けてその覚せい剤反応の鑑定を嘱託した。
その間に、O監察官補佐は、前記の被告人Dの指示に従って「事案概要」と題する報告書を作成していた。
被告人Dは、これを被告人Cに提出し、Fが覚せい剤を注射したこと、所持した覚せい剤を駅で捨てたこと、同人の身分がG子に知られている旨の供述をしていることなどを報告した。
その後、被告人Cと同Dは、右「事案概要」を持って警務部長室と本部長室を順次訪ねてその決裁を仰ぎ、被告人Dが両被告人に対し、事件に関するその後の状況を報告し、Fに覚せい剤の常習的使用の疑いや、所持の疑いが強いこと、同人が覚せい剤を駅のベンチで投棄したと述べていること、Fの携帯電話機にG子からの電話が入っており、外事課が同女の所在を把握し、口止めの措置を講じている筈であることなどを報告した。
これに対し、被告人Bは、「時期が悪いな。」などと感想を漏らした。
被告人Aは、Fが未だ諭旨免職になっていないことを知ると、右報告が終わるのを待ちかねたようにして、被告人Cと同Dに対し、語気を強めて「まだ、(Fを)切っていないのか。」、「一日も早く辞めさせろ。」、「不倫を理由に遡ってでも辞めさせろ。」、「警務部長からその指示がなかったのか。」などと言って叱責し、Fについて一刻も早く諭旨免職の手続きを進めるよう命じ、事件については、生活安全部長の被告人Eの力を借りて処理するよう指示した。
被告人Cと同Dは、被告人Aの事件への対処の方針が変わらないことを改めて知り、これに沿うことを決意して退去した。
そして、被告人Cは、警務部長室に立ち寄り、被告人Bに被告人Aからの右の指示内容等を伝えた。
被告人Bは、Fの処分について、事件に関する状況をもう少し見定めたうえで決めるのが無難と考え、被告人Aにその真意を再確認する必要を覚えながらも、当面は同被告人の意向に従うほかないものと考え、被告人Cに対しては、事件について本格的な捜査を行わないことを前提にして生活安全部長の被告人Eに相談するよう指示し、自らも被告人Eに電話をかけ、これから被告人Cが職員の覚せい剤絡みの不祥事のことで相談に赴く旨を伝え、協力を求めた。
そして、自らは、本部長室へ赴き、被告人Aに対して、「(Fを)今、辞めさせてもよいのでしょうか。女(G子)のこともありますし、もう少し待った方がよいのではないでしょうか。」などと進言し、婉曲的に再考を求めながら、改めて同被告人の方針を尋ねた。
しかし、被告人Aの意向は変わらず、「様子を見る必要はない。今、直ちに辞めさせるのでいい。」などと答え、従前の指示内容どおりに実施するよう指示した。
被告人Aは、被告人Cと同Dからの報告によって、改めて事件についてのFの嫌疑が濃厚であることを知り、G子が逮捕された場合は、事件についての本格的な捜査を開始せざるをえない事態が生じうることも想像したが、成り行きに任せるほかないものと考えていた。
被告人Bは、右の被告人Aの発言から同被告人の意向を改めて知ると、同被告人には事件を秘して済ます確信があり、自らが心配する必要がないものとも受け止め、もはや同被告人の意向に従うほかないものと決意し、被告人Cに電話でその旨を改めて伝え、Fに対する諭旨免職手続きを進めるよう指示した。
一方、その間の同日午前中に、前記科学捜査研究所では、Fの尿から覚せい剤の成分が検出され、同研究所長は、同日午後二時過ぎ、被告人Dにその旨を伝え、同被告人は、被告人Cに対し、右Cの尿の検査結果やFが投棄した覚せい剤が発見された旨を報告していた。
被告人Cと同Dは、前記のように、被告人Aや被告人Bから事件に関する方針を知らされると、これを受けて、同日昼過ぎ、監察官室に外事課のL課長とK課長代理を呼び、自室のO補佐官らも交えて、被告人Aの意向に従ってその後の対策を協議し、FとG子を別れさせる方法なども話し合った。
被告人Cと同Dは、その後、生活安全部長室に被告人Eを訪ね、同被告人に対し、事件に関するそれまでの状況を報告し、被告人Aの意向に沿った事件処理を行うべく、同被告人の助力と指示を求めた。
被告人Eは、P薬物対策課長も呼び寄せて右両被告人の報告を聞き、Fの尿の覚せい剤反応が陽性であることなどを知らされると、「何時(生活安全部の薬物対策課が事件を)引き継ぐんだ。」、「そんな状況で引き継がされたんじゃ、もう、(Fを)逮捕しかないだろう。」などと答えた。
被告人Cは、被告人Eに対し、被告人Aの意向を伝えながら、懸命に、事件をそのように公にせずに処理することへの協力を懇願した。
被告人Eは、被告人Aの意向に沿うには、Fの尿の覚せい剤反応が陰性になった後に生活安全部(薬物対策)が事件を引き継ぐほかに方法がないものと考え、被告人Cと同Dに対してその旨を伝え、事件の引き継ぎ時期については、警務部長の被告人Bとも相談して考えるよう、その引き継ぎが遅れた理由も監察官室で考えて準備するよう付け加えた。
被告人Dは、その席で、更に、被告人Eに対し、既に発見されている事件にかかわる証拠品の扱い方について指示を求めた。
しかし、被告人Eは、「そんなもん、お前らで処分しろ。」、「そんな話は聞いていないことにする。」、「一体、何を考えているんだ。」などと怒鳴って突き放した。
そして、「女の口からFの名前が出れば逮捕だぞ。」とも付け加えた。
その席で、P薬物対策課長は、右のようにして事件を引き継ぐための監察官室の対処の仕方を助言する一方、その後に事件にかかわる証拠物が発見された場合は、Fを逮捕することになる旨や、薬物対策課が右のように、Fの尿の覚せい剤反応が消えた後に事件を引き継いだことにするためには、その前に同課がFの尿を前記科学捜査研究所に届けることは不都合である旨の発言もした。
そして、以後、Fの尿は、監察官室から直接右研究所に届けられることになった。
なお、同日午前中、被告人Eは、外事課のFのために生活安全部が煩わされることに苛立ちを覚え、警備部長のMと外事課長を自室に呼びつけ、その旨を伝え、両名は、謝辞を述べ、助力を求めていた。
翌一二月一七日(火)午前八時半ころ、被告人Dは、監察官室のO監察補佐官に対し、Fの尿の覚せい剤反応が消えた後に事件を生活安全部に引き継ぐことになった旨を伝え、外事課のK課長代理に事件の引継ぎが遅れた理由を記した報告書を作成することを求めるよう指示し、P薬物対策課長の前記の助言に沿って、その報告書では、外事課の警察官が事件を知った日を実際よりも遅らせ、Fが未だG子から無理矢理に注射されたなどと弁解しているようにし、前記の証拠品も発見されていないことにするなどして、事実関係を全体的に曖昧なものにするよう指示し、同指示は間もなくK外事課長代理に伝えられた。
その後、遅くとも同日午前中までの間に、被告人Cと同Dは、被告人Bと同Aを訪ねて、Fの尿から覚せい剤が検出されている旨や、生活安全部長の被告人Eらとの相談の結果、Fの尿の覚せい剤反応が消えてから事件を生活安全部に引き継ぐ積もりである旨の報告をし、少なくとも被告人Bに対しては、Fの供述どおり、駅のベンチで覚せい剤様のものが発見された旨も報告し、被告人Bと同A両被告人は、右の事件の引継ぎの仕方を相当として了承した。
他方、被告人Eは、同日午前中、事件処理についての被告人Aの再考を期待し、被告人Bにも誘いの声をかけたうえ本部長室を訪ね、被告人Aと事件について初めて面談した。
そして、同被告人に対し、Fの尿の覚せい剤反応が陽性である旨を伝え、その反応が陰性に転じた後に生活安全部が事件を引き継ぐことにした旨を報告しながら、そのようにして手続きを進めることの当否の判断を求めた。
また、被告人Bも、少し遅れて本部長室に入り、被告人Aに対して、同様に、再考を期待し、右の尿反応が陽性にある状況下でFを諭旨免職にすることの当否の判断を改めて求めた。
しかし、被告人Aの考えは変わらず、同被告人は、被告人Eに対しては、「それで結構です。」、「陰性になってからやって下さい。」と、事件をFの尿の覚せい剤反応が陰性になってから薬物対策課に引き継ぐよう指示し、被告人Bに対しては、「それでいいんだ。」、「従前の方針どおり、直ちに諭旨免職にしなさい。」と、Fを同日中に諭旨免職にするよう指示した。
被告人Bと被告人Eは、それぞれ、被告人Aの右指示に応じてその意向に従うことを最終的に決意するに至った。
そして、被告人Bは、被告人Aの意向に従い、被告人Cに対し、同日中にFの諭旨免職手続きを行うよう指示し、同指示は、その後間もなく、被告人Cから被告人Dへ、更にK外事課長代理らに伝えられ、その手続きが進められることになった。
かくして、被告人ら五名は、遅くとも、右時点において、それぞれ、前記の関係者らとともに、事件について、Fの尿から覚せい剤が検出されなかったように偽装するなどしてこれを秘匿し、同人の検挙を見合わせて同人を隠避させる旨の決意をするとともに、順次、互いに、その意思を通じさせて共謀を遂げるに至った。
そして、同日中にFに対する諭旨免職手続きを進めて完了し、その後、右謀議に沿って事件を生活安全部薬物対策課に引き継ぐべく、その関係者が前記の被告人Dの指示に沿った虚偽の報告書を作成するなどして準備を整えた。
外事課の警察官らは、一六日以降もFからの採尿を続けて右研究所の鑑定に付し、その尿から、一九日までは覚せい剤反応が認められ、その都度、そのことが右研究所長から被告人Dに連絡され、同被告人から、P薬物対策課長を介して被告人Eに、被告人Cを介して被告人Aや同Bに報告されていた。
そして、同月二〇日(金)に至り、漸く、Fの尿の覚せい剤反応が陰性になるに至った。
被告人Dは、同日、そのことを知ると、被告人Cに報告するとともに、K外事課長代理に対し、事件を薬物対策課に引き継ぐよう指示し、被告人Cは、被告人Aと同Bにそのことを報告した。
そして、同日、事件は、警務部監察官室から生活安全部薬物対策課に引き継がれた。
なお、Fは、そのころ、J外事課長補佐から、その後に取調べを受ける際には、右事件引継ぎのために作成された報告書に記載された虚偽の事実に沿った供述をするよう指示されていた。
一方、被告人Eは、将来、事件がG子を介して明るみに出た場合に備えて、事件について、薬物対策課としての捜査自体を尽くしておくことが必要と考え、P課長にその旨を伝え、同人は、それまでの経過を全く知らない部下らにその捜査を命じ、同捜査官らは、Fに対しては厳しい取調べを行った。
しかし、右捜査官らは、当然のことながら、事件の嫌疑事実を客観的に裏付けうる資料を得ることができず、Fに対する取調べは同月二八日に打ち切り、G子に対しては、同月二七日に初めてその所在を把握して取調べを行い、同女から尿の提出も受けたが、その尿からも覚せい剤が検出されず、結局、右捜査は、そのころ、終了するに至った。
被告人EとP薬物対策課長は、その一方で、同年暮れから翌平成九年初めにかけて、被告人Aや被告人Bの了解の下に相次いで横浜地方検察庁を訪ね、事件について、薬物対策課が捜査を尽くしたが、Fが曖昧な供述をし、同人の嫌疑事実を裏付ける証拠がない旨の偽りの報告をして指示を仰ぎ、その結果、同検察庁への送致の判断を自らに任され、その後、その手続きを行わずに済ませた。
また、J外事課長補佐は、翌平成九年二月下旬頃、K同課長代理から前記の事件にかかわる証拠品を処分するよう指示され、不安になって処分できずに過ごしたが、右Kが人事異動で外事課を去った後の平成一〇年二月二七日、右証拠品を不要書類に紛れ込ませ、ゴミ焼却場に搬入して処分した。
(罪となるべき事実)
被告人Aは、平成六年一〇月から神奈川県警察本部の本部長に、被告人Bは、平成八年九月から同本部の警務部長に、被告人Cは、同年同月から同警務部の監察官室長兼首席監察官に、被告人Dは、同年三月から同警務部の監察官に、被告人Eは、平成七年九月から同本部の生活安全部長職にそれぞれ就任していた者であるが、
第一 被告人五名は、前記のように、平成八年一二月一三日以降、横浜市中区海岸通二丁目四番所在の神奈川県警察本部庁舎において、順次、同本部警備部外事課の警部補のF(当時三四歳)に覚せい剤を使用した疑いがあることを知ると、同事件が公になることによって警察の威信が失墜すること等を恐れ、これを回避すべく、同事件を秘匿しようと企て、同月一七日午前中までの間に、互いに右本部の他数名の関係職員らともその意思を通じさせて共謀を遂げたうえ、右Fを横浜市内のホテルに宿泊させ、同人の覚せい剤使用を認める供述や、その尿から覚せい剤が検出された事実等を外部に隠し続け、その尿から覚せい剤が検出されなくなった同月二〇日に初めて同人から覚せい剤を使用した旨の申告を受けたことにするなどして同人の検挙を見合わせ、もって、覚せい剤取締法違反事件の被疑者である同人を蔵匿して隠避させた。
第二 被告人Dは、この間の同月一四日、前記神奈川県警察本部庁舎において、それまでに発見されていた前記Fに対する覚せい剤取締法違反被疑事件に関する証拠物である覚せい剤様の粉末が入ったアルミホイル包み二包み及び注射器一一本を隠滅することを企て、右本部警備部外事課の課長代理のK及び課長補佐のJらにその旨の指示をして同人らとその意思を通じさせて共謀を遂げたうえ、右Jにその個人ロッカーに右証拠物を隠匿させ、もって、他人の刑事事件に関する証拠を隠滅した。
(証拠の標目)《省略》
(法令の適用)
本件第一の被告人五名の各行為はいずれも刑法六〇条、一〇三条に、第二の被告人Dの行為は同法六〇条、一〇四条にそれぞれ該当するところ、各罪の所定刑中、いずれも懲役刑を選択し、被告人A・同B・同C・同D・同Eについては、第一の右所定刑の範囲内で、被告人Dについては、第一、第二の各罪は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により、犯情の重い第一の罪の右所定刑に法定の加重をし、その刑期の範囲内でそれぞれ処断し、被告人Aを懲役一年六月に、被告人B・同C・同D・同Eをいずれも懲役一年にそれぞれ処し、各被告人に対し、いずれも、情状により、同法二五条一項を適用して、この裁判が確定した日から三年間、それぞれその刑の執行を猶予し、被告人Dの訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項但書を適用して、これを同被告人に負担させないこととする。
(量刑の事情)
本件各犯行は、当時神奈川県警の最高責任者であった被告人Aを初めとする被告人ら幹部が、同県警の警察官が交際中の女性と一緒に覚せい剤を使用した疑いが濃厚であることを知りながら、自らに課せられた職責の本旨を忘れ、国民の警察に対する信頼と期待を裏切り、通常の捜査を開始しなかったばかりか、右被疑事件自体を秘匿して公にしないことを企ててその犯行に及んだものであり、その経過や動機をみる限り、悪質このうえなく、酌量の余地がないものである。
その犯意が強く、周到な計画性が認められ、被告人らは、互いに綿密に連絡を交わし、謀議を重ね、職制を乱用して部下に指示を与えながら犯行を続け、右被疑者の警察官を蔵匿し、同人と右女性に対する捜査を故意に遅らせ、事件解明の重要な証拠である右警察官の尿から薬物反応が消えるのを待ち、同人が投棄した薬物等を回収して隠匿した(第二の犯行)うえ、自らの犯行を隠蔽するために、事件を認知した日を実際よりも遅らせた虚偽の報告書を作成するなどして、事件を証拠不充分のものとする体裁を整え、更に、事件がその後に外部に知られた場合に備え、検察庁に対して偽りの報告をして欺いたうえ、事件を送致せずに済ますことまでしている。
本件各犯行により生じた結果は極めて重大であり、国民の警察に対する信頼を著しく損ね、自らが所属した県警の職員にも、上司に対する不信を生じさせ、職務に対する意欲や、自負を失わせかねない状況を招いている。
とりわけ、これが国民に抱かせた警察組織に対する不信と失望、そのことによる悪影響の程は深刻で計り知れないものがあり、その回復には相当の時日を要するものと想像される。
わが国が法治国として健全に存続するためには、法が現実に正しく執行されて具現されることが不可欠であるところ、刑事分野における法の具現は、捜査官による適正かつ公正な捜査が行われずしてありえないものである。
本件各犯行の主要な動機の基となり、被告人らが守ろうとした、被告人らがいう警察の威信は、日頃の厳正な捜査活動とその成果の蓄積によって国民からの信頼を得ることなくして生じえない筈のものである。
このように、本件各犯行は、国民に警察の捜査の適正、公正さについての信頼を大きく損なわせ、法治国の基盤を危うくするものであり、被告人らの罪責は真に重大で、万死に価するものがある。
被告人Aは、県警の本部長として、部下職員に対する強力な指揮権と事件処理の決定権を与えられ、自らの組織に課せられた使命を全うすべき最高責任者の立場にありながら、その職員にかかわる刑事事件の発生を知ると、右使命の本旨を忘れて判断を大きく誤り、同事件が現職の警察官の不祥事として公になることによって自らや自らの組織に向けられる国民からの批判や、それに伴って生じる不都合を免れようとして安易にその犯行を企て、右指揮権を悪用して犯行を遂行し、被告人Dらには、更に、自らの意向を受けた証拠隠滅の犯行にまで至らせている。
なお、被告人Aの過ちについて、関係者の中には、同被告人が部下職員の不祥事を自らの栄准に不都合と受け止めたが故のものとの見方をする者もおり、同被告人には、その点でも自戒すべきものがある。
被告人Bは、県警において、警務部長として、被告人Aを補佐する立場にあり、また、本件のような職員の不祥事の調査や処分を担当する監察官室を統括して指揮する立場にもありながら、その職責を忘れて被告人Aの意向に安易に従い、他の共犯者らとの間を取り次ぎ、同人らに指示を与えながら犯行を続けている。
被告人Cは、右のように県警組織の自律機能を全うすべき職責を負う監察官室の長たる立場にありながら、本件の事件を知った当初からその使命を疎かにし、被告人Aや同Bらに安易に追従し、他の共犯者らの間を取り次ぎつつ関係者と謀議を重ね、部下の被告人Dらに指示を与えながら犯行を続けている。
被告人Dは、監察官としての右の職責を忘れ、本件の事件を知った当初からこれを隠密に処理することを考えて上司の被告人Cらにそのことを進言し、被告人Aの意向を積極的に支持し、これに沿うべく関係者に働きかけ、部下や、事件の被疑者の職員が所属する外事課の者に対して次々に具体的な指示を与えながら犯行を続けている。
被告人Eは、本件のような薬物事犯の捜査を行う部門の最高責任者の生活安全部長にあってその事件を知りながら、被告人Aの違法な指示に安易に従い、直ちに事件捜査を開始することをしなかったばかりか、他の共犯者らに対して、事件を嫌疑不充分のものとして終わらせる手法までも教えて自らの部署への引継ぎを遅らせたうえ、共犯者らとともにその捜査を尽くしたかのような体裁を整え、検察庁までも欺いて、事件の送致手続もせずに済ませている。
このように、本件各犯行において各被告人が果たした役割はいずれも大きく、その責任も重いものである。
なお、被告人Aを除く各被告人は、被告人Aに対して、それぞれ、同被告人が事件の被疑者である職員に対する諭旨免職手続きを急ぐことについて危惧の念を抱いたり、婉曲的に再考を求めたりしているものの、事件を早期に主管の生活安全部に引き継いで本来の捜査を開始すべきことを被告人Aに進言した者はおらず、少なくとも、被告人Eを除く被告人らのいずれもが、当初から、事件を、できることならば、これを秘密裡に処理したいものと考え、しかし、同事件に部外者の女性が関わっていたことから、右職員の尿から覚せい剤が検出されている間に、右女性に対する捜査が他で開始されるなどして事件が明るみに出た場合の事態を怖れ、そのような事態を招来しないための準備を整えようとし、被告人Aに対しては、事件を秘密裡に処理できる見通しが立つまでの間に右職員を諭旨免職にすることを待つよう促したにすぎず、基本的には、終始、被告人Aと同様の過ちを犯している。
他方、本件各犯行については、前記のように、被告人らが、重要な判断を誤ったとの誹りは免れえないとはいえ、その動機が、少なくとも私利私欲や、被疑者の職員を庇おうとしたものではなく、いずれも、その被疑事件について、これを捜査し、同人を懲戒免職にすべきものと考えながらも、事件が公になることによって、国民の警察に対する信頼を損ね、警察の各種活動分野における国民の協力を得難くなることなどを極度に怖れる余りにその犯行を企てるに至ったものであること、その点では共犯者らの認識が共通しており、前記のように、事件が関係者に発覚した当初から、これが本来の捜査部門である生活安全部に報告されずに秘密裡にその調査が行われたまま被告人Aに報告され、右生活安全部の長の被告人Eには最後に知らされていること、このように、本件における被告人Aの決断は、他の共犯者らを含む県警関係者の多くの者の思いを受け止めたものともいいうること、また、被告人ら県警関係者が重大な判断を誤る原因となった、同人らが事件が公になることを極度に怖れた理由を考えると、その判断の誤りについて、被告人らのみを責めることでは済まされないものもあること、なお、もし、被告人Aが、本件のような部下職員の不祥事をその組織内部における自らに対する評価を損なうものと受け止めたとすれば、そのような組織の体質自体にも改善が求められるべきものがあること、幸い、事件がその後に明るみに出て、偶々残されていた資料等によって、少なくとも、被疑者の警察官が犯した罪については、これが刑事事件として立件され、裁かれるに至ったこと、各被告人は、いずれも、長年、職務に精励して職場に貢献してきた様子が窺われるところ、本件の審理を受けることとなり、自らが犯した罪の程を知り、反省、悔悟を深くした子が顕著に認められ、国民への真摯な謝罪の念を示し、被告人Aは、何らの弁明もせず、県警の最高責任者の自らが犯した過ちの故に他の被告人らを誤らせたとして、その全罪責を負って如何なる刑も甘受して償いたい旨、警察に対する国民の信頼が一日も早く回復されることを願う旨述べていること、この間、被告人らは、それぞれ、それまでに得た信用や名誉の多くを失い、被告人Bと同被告人Dは、その職場を懲戒解雇されて職を失い、以後、再就職も控えて謹慎の日を送っていること、被告人Aと同Eは、本件が明るみになると、いずれも、退職後の勤務先を辞し、無職になって現在に至っていること、被告人Cも、退職後に内定していた再就職を辞して現在に至っていること、被告人A、同E、同Cは、いずれも、すでに受領した退職金を返納する予定でいる旨述べていること、被告人らは、本件が長期間にわたり、広く報道されることによって、いずれも、厳しい批判や非難に晒され、家族も巻き込んで相当な社会的制裁を受けることになった様子が窺われること、その他、各被告人の家族状況や年齢の程など斟酌すべき点も存する。
これらの事情を総合考慮した。
よって、主文のとおり判決する。
(求刑 被告人Aに対し懲役一年六月、被告人B・同C・同D・同Eに対し各懲役一年)
(裁判長裁判官 岩垂正起 裁判官 佐々木直人 潮海二郎)